自覚によって期待値を補正する
ここのところしばらく、時々ジムに行くようになった。 筋トレというものは元来あまり好きではないのだけど、健康のためにある程度脂肪を落としたり筋肉質な体にしたりすることが必要そうな状況になったという事情による。
職場の同僚には筋トレを好む人や、私と同じようにある面でやむにやまれず筋トレをしなければならないと感じている人がいて、一人だと何かと事情をつけて行くことを諦めようとしてしまう自分を押し留めるための互助会のようなものもできた。
少し昔のことを振り返ると、実は僅かな時期、平均よりも明らかに多い筋肉量だったことがある、と思っている。 当時は体組成計も使っていなかったし詳しいことは覚えていないが、明確に覚えているのは、7分間で500回やったということ。
7分間の制限内で、1回につき10円を小遣いとしてもらえるという制度が家庭内でできた。 それに対して自身が500回達成したことで同級生に比較して破格のお小遣いを獲得してしまったという記憶、そしてあまりに回数が伸びすぎて次回から単価が5円に下がったというエピソードを覚えているあたりからおそらくは記憶違いではないのだと思う。 (とはいえかなりの回数だし1分で1回以上を続ける計算だから、事実だとしても浅めの腕立て伏せだったのだろうな) その当時の体験だけが染み付いて、自分は筋肉がある、力がある、といった誤った自己認識を持っていた。
(閑話休題)
話を今に戻す。 この体験を引きずったままジムに行き、持ち上がらないバーベル、一度もできない懸垂など、その認識を改めさせてくれる機会が何度もあった。 その上、同僚は自身ができなかったことを余裕を持ってこなしていた。 筋肉の使い方(広背筋をこう!ここを落としてこっちに効かせるんです、など)についても教えてくれたけど、少なくともすぐに自身のフォームに反映させることは全然できず、効果的な筋トレのためにはこのうまくいかない経験をもっと積み重ねないといけないのだとよくわかった。
つまるところ、他の人ができているのに自分はできない、自分の中でできると思っていることも自分はできない、他の人に教えてもらって補助を受けているのにそこにも到達できない、とまあそういう状態だったというわけだなあ。
この事実自体は、少しばかり自分を悲しい気持ちにさせた。だけど同時に、自分に対する認識を改めて、じゃあそうだとしてこれからどうするか、を考えさせてくれる機会になった。1
セルフイメージはある時点のある体験からできるので、その体験が強烈だとスナップショットとしてそこを何度もリファレンスにしてしまうのだなと思う。 ただ、当然自分も変わるし、周りの人も変わるし、環境も変わる。そうするとそのイメージとの乖離が徐々に大きくなるのは当たり前のことだから、それを適切なタイミングで日々(ショックが大きくなりすぎない程度に)補正を続けることが、生きていく上では大事なんだなあ、という教訓を得た。
それにしても今年は、「できない自分」に遭遇することが多い年だ。 年の功か、それでもちっとも絶望はしなくて、そうか〜残念だがだとしたらこうするしかないか……などと、それを受け入れた上で頑張る方向に進めることができているのでよかった。
最後に、最近好きだった2つの広告を貼っておこう。
65歳からのハワイ旅行 シニア向けサポート充実のプロジェクトが始動 | 地球の歩き方
「もう、歳だから。」 「楽しもう、歳だから。」
こっちはプログリット。 本家のが見つからなかったのでXの広告ウォッチャーの方の投稿になってしまうけど。
「挑戦している人ほど、休んでいい理由だらけですから。でも、それでも、やる。」
こういうので刺激を受けて頑張ろうって思うなんて、年食ったな。ははは。
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これは話の通りやすさのために部分的に盛っていて、加齢と共に同種のエピソードを体験する機会は度々あったので、その度に少しずつ補正がされている。とはいえ、より強く補正するきっかけになった話の一つではある。 ↩︎